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2009年10月13日

雨天に咲く砂漠のバラ

今日、旦那が近くの海でエンストした知人の車を助けに行き、
ミジュン大漁の情報を、お土産に持って帰って来ました。
早速、明日は友人家族と釣りに行く予定に。
だから、明日は晴れると良いな~。

最近不安定なお天気が続くので。
・・・といっても、植物には恵みの雨。

ただし、この植物は水気が多いのを嫌うから、例外。
ただいま、開花2日目の、デザートローズ(アデニウム)です。
雨天に咲く砂漠のバラ
学名・Adenium obesum、キョウチクトウ科。
「砂漠のバラ」という名前から、
天然石と勘違いする方もいらっしゃるようです。
つややか、あでやかで、美しい花です。
シャンティガーデンでは、種と苗を販売中です!

今日は石川真治さんのお話を再開します。

戦後、
琉球政府(アメリカ軍下)の八重山開拓の仕事に、
那覇から出張という形で関わっていた2~3年間は、
月に1回、各開拓団の調査をして回り、
現在の唐人墓近くの、
米軍の民政官府へ報告に出向く仕事をしていました。

ちなみに、官府兵は、アメリカの農学校卒の
ドイツ系アメリカ軍人だったそうです。

沖縄本島各地から募集された計画移民と、
その親戚他の自由移民はまず、
先遣隊といって、男性だけが、
移住の下準備をするために移住先に赴き、
約1年ほどの時間をかけて、仕事も食事も共同で、
家を建てたり畑を開墾したりと、家族での移住の準備をしました。

当時30代だった石川さんは、一人で那覇から出張し、
石垣(地区)から川平(かびら)までは
運行していたトラックバスに乗り、
そこから富野(とみの)まで歩いて、
富野にあった石垣市の山小屋に泊まる予定だったのを、
現在の砂川商店に泊めて貰い、
翌日、大田を(もちろん徒歩で)山越えし、伊野田で仕事をし、
それから白保に回り・・・という具合に、
各集落を、何泊かかけて調査していました。

石垣から太平洋側の伊原間まで
トラックバスが行き来する頃にも、
野底あたりの開発が一番遅かったそうです。

車で40分程で行き来出来るようになった現在でも、
石垣島内の街の住民で、
野底地域を「とても遠い場所」と感じている方は
結構多い気がします。
(「野底に住んでいる」と言った時の反応から感じる、
私個人の感想ですが・・。)

その頃の伊土名の県道は「いのしし道」と呼ばれ、
吹通川などの川には橋は無く、
陸の歩きにくい所は、海から引き潮を利用して
ひたすら歩いたそうです。
今からしたら、探検ですね。

裏話として、

当時の石垣島は人口がまだ数千人規模。
マラリアの問題もある中、石垣地区も、大浜地区も、
一人でも多くの移民を求めていました。

つまり、移民は引っ張りだこだったわけです。

そのため、那覇の開拓課・八重山開発係の当初の計画では、
伊土名への移民は、30戸入る予定だったのに、
いつの間にか他の地域に引き込まれて割り振られ、
結局、誰も移住しなかった、という事態に。

それから1年ほどして土地を配分してみたら、
今度は大浜町で土地が不足し、余った十数戸を
伊土名へ回す事に・・・。
~~~~続く~~~~




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Posted by シャンティ・ガーデン at 22:13│Comments(0)植物紹介・お話聞き書き
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