連休最後のBBQ!お天気は?
子供がお父さんの真似をして育てている、
いろいろな苗です。
おじいちゃんから送ってもらったメロンなどの果物は、
食べた後、種を蒔いています。
収穫できるかな~?
今日は子供の連休最終日ということで、
午後から米原キャンプ場で、泳いだり、BBQの約束。
お天気がちょっと不安定で、
くもり時々ぱらぱら雨・・というのが気になりますが・・・。
出かける前に日記を書いておこうと、パソコンに向かっています。
石川真治さんのお話は続きます。
台湾の農林試験場勤務時に、
日米開戦を迎えた石川さん。
開戦を機に、石川さんのご家族は満州へ。
石川真治さんは、ご自分が長男だから、と、
親と一緒に農業をするつもりで、
家族を追って、後から満州に向かわれます。
農業をするはずの満州では、
国民学校(今の小学校)の先生が足りず、
請われて小学校の先生を勤めます。
3年間は先生をするつもりだった石川さんですが、
教育召集を受け、軍隊に徴兵されます。
そこからまた学校に戻り・・
と、時代に翻弄されますが、
ご自身は背が低かったから、
自動車隊という、爆弾等弾薬輸送に回されたけれど、
他の召集された人は、もっと大変だったよ、
とおっしゃいます。
満州現役兵たちは南方へ向かい、
ロシアとの戦争が始まり、
戦争に負けて、
石川さんはロシアの捕虜になります。
満州からロシア国境のコッカ ボラゴエツィンスク、
という川まで、何百里も野宿しながら歩かされ、
途中では、
弾薬を持って捨て身で戦車に体当たりし、自爆するなどして、
ばらばらになった日本兵の遺体をたくさん見たそうです。
持っていた食料、衣類は、ロシア兵から無理やり交換されたり、
また、重くて途中で捨てたりして、減っていきます。
家族は、ばらばらになり、
石川さんにとっての何よりの悲しみは、
満州で伝染病が流行り、生き別れになったお母さんが亡くなり、
それっきり会えなくなってしまったこと。
「それでも、一家全滅のところもたくさんあったから・・。」
と、不幸なお話でも、
静かな口調で、いつも謙虚でいらっしゃいます。
~~~~続く~~~~
とても悲しく、つらいお話ですが、
戦争を知らない世代は、機会があるごとに、
実際にこういう時代があって、今があることを、
知っておく必要がある、と思いました。
そして、ご年配の方はそれぞれ、
ご自分のルーツ、生い立ち、人生を振り返り、
人に伝えたい気持ちを持っていらっしゃるのではないか?
それを聞かせて頂く事が、
もしかしたら、敬老の日だけでなく、
その方と、何より自分自身、両方へのプレゼントになるのでは?
・・・と思いました。
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